昔は、神社とかお寺とか全然行く感じがなかったのですが、ツレがそういうのが好きだったりすると行かないとってなりますよね?笑
そんなふしだらな理由で行ったりしたのですが、行ってみると意外に心が落ち着いたりして良いものだなぁ~と感じたりします。
という事で、こちらは、昨年行きました香取神宮(千葉県香取市)のことを書きたいと思います。
場所は、こちらです↓
スポンサーリンク
今回は、車で行ったので佐原香取ICで降りて少し走ったところにあります。
香取神宮の御祭神は、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)で又の御名伊波比主命(いはひぬしのみこと)です。
ホームページに記載されている神話は、このような感じです。
皆さんは、出雲の国譲りの神話をご存じでしょうか?
香取の御祭神 経津主大神(ふつぬしのおおかみ)は、この神話に出てくる神様です。はるか昔、高天原(天上の神々の国)を治めていた天照大神(あまてらすおおみかみ / 伊勢神宮・内宮の御祭神)は、葦原中国(あしはらのなかつくに / 現在の日本)は自分の息子が治めるべきだとお考えになりました。
葦原中国は荒ぶる神々が争い乱れていたため、天照大神が八百万神に相談すると、天穂日命(あめのほひのみこと)がすぐれた神であるということで出雲国の大国主神(おおくにぬしのかみ)の元に遣わされましたが、天穂日命は大国主神に従い家来になってしまいました。次に天稚彦(あめのわかひこ)が遣わされましたが、天稚彦もまた忠誠の心なく、大国主神の娘である下照姫(したてるひめ)を妻として自ずから国を乗っ取ろうとし、天照大神の元に戻りませんでした。
このようなことが二度つづいたので、天照大神が八百万神にもう一度慎重に相談すると、神々が口を揃えて、経津主神こそふさわしいと言いました。 そこへ武甕槌大神(たけみかづちのかみ / 鹿島神宮の御祭神)も名乗り出て、二神は共に出雲に派遣されることとなりました。
出雲国の稲佐の小汀(いなさのおはま)に着いた経津主、武甕槌が十握剣(とつかのつるぎ)を抜き逆さに突き立て武威を示すと、大国主神は天照大神の命令に従い葦原中国を譲りました。
二神は大国主神から平国の広矛(くにむけのひろほこ)を受け取り、日本の国を平定して、天照大神の元へ復命されたのです。
香取神宮のホームページ(https://katori-jingu.or.jp/about/history/)
立派ですね。この日は、2017年11月19日だったのですが、人が結構いました。
ちょうど紅葉も少し残っていたので、こんな風景も撮る事ができました。
別の入り口の鳥居です。こちらも綺麗ですね。
そして、ホームページを見ていると気が付いたのですが、9月1日にテレビのにじいろジーンにて東国三社お守りが取り上げられたそうで、こちらのお守りが無くなってしまったそうです。
スポンサーリンク
ちなみに東国三社守りとは…
東国三社である茨城県にある鹿島神宮(かしまじんぐう)、千葉県にある香取神宮(かとりじんぐう)、息栖神社(いきすじんじゃ)の三社の事で、こちらのどこかで木のお守りの木を購入します。
そしてシール型のお守を張り付けていくという事になります。言葉は、合ってるかはわかりませんが、東国三社のスタンプラリーですね!
そして、昨年末から今年の最初にかけて東国三社を巡ってゲットしてきました。神社仏閣巡りでもテレビの影響というのは、すごいようですね。
また、他の二社については、後日書きたいと思います。